時の音「大きくつかむ力と瞬発芸」 哲学者 鶴見 俊輔

 本を読む速度が落ちている。それは私のことで、十歳のころの十分の一が82歳の今と
見てまちがいない。その私から見で、坪内祐三『文庫本福袋』(文芸春秋)は有益である。
この五年間に私の読み落とした本のかんじんのところを、教えてくれた。三島由紀夫と全
共闘の対話記録で、三島に呼びかける全共闘の言葉は、当時の流行語としで軽く飛び去っ
ているのに対して、三島の答える言葉は当否を別として、誠意によっで五十年残っている
ことを示している。
 もうひとつ、ナンシー関『何が何だか』(角川文庫)。このひとは、私に言わせれば限
界芸術に属する消しゴム彫刻をつくって、現代の一瞬をしばらく残す芸をつづけていた。
坪内はこの本の中で、「ナンシー関のいない日本なんて」と嘆いている。
 さっそく私はこの文庫本を買いに行って読んだ。「今の世の中『得しないと損である』
が常識となっている。」
 これは一行でこの時代の日本精神を要約し得ている。「しかし『得しなきや損だ』とい
う人間の本能というか、いじましい貧乏根性というか、が最も強烈にニオうぺ−ジを発見。
毎号恒例のレギュラーぺ−ジ『パーティー&イベント』だ。これは旅行ではなく『ねると
んパーティー』の物件紹介ぺ−ジである。
 いや噂には聞いていたが、すごいな。『男性参加者・ドクタ−および一流企業、年収1
千万円以上女性参加者・おシャレなOL、火曜日は新宿デパート丸ガールも大集合!』と
臆面もない損得勘定の嵐。『男性・スーパードクター限定(何じやそれ)女性・保母さん
看護婦さん限定』とか、もうグチョグチョなかんじ。恥ずかしいわ私。そんなに得したい
か。あんまり得ばっかりしてると、何かあるぞ、人生。と思うけどなあ。ないのかなあ。
とほほ。」
 この文についている消しゴム彫刻には、「神サマどうか得しますように」と真剣に祈っ
ている若い女性が彫り込んである。こうした瞬発芸の達人が亡くなったことは残念だ。大
きくつかむ力を、現代日本人は失った。私のかんでは、1905年から百年つづいでおり、
これからいつまでつづくのか、回復することがあるのかどうかわからない。ナンシー関は、
今をとらえる瞬発芸だが、時間・空間ともに大きくとらえる瞬発芸が日本から現れたらた
いしたものだ。マンガの世界からは、すでに岩明均『寄生獣』が現れた。さらに、こうの
史代『タ凪の街桜の国』(双葉社、二○○四年十月)が出た。
 私はいろいろの種目をまぜでかんがえるので、あたっているかどうかわからないが、現
代日本の教授、評論家は、近ごろの出来事については正確だが、じぶんが昔出会ったひと
つのことから、あきもせずにくりかえし何かを引きだしてくる芸風の人が、この百年、少
なくなっており、これまたいつまでつづくのか。原爆を落とされで生き残っだひとは、今
は、少ない。経験しなかった世代の中から、「タ凪の街」が現れたことを、ほとんど奇跡
と思う。日本文化の百年を越える潮流にあらがう仕事だ。
 若い娘が広島の街を、気楽にはだしで歩いてゆく。ロずさむのは、「しんだはずだよお
とみさん!」
 この歌がはやったころは、原爆投下はまだ同時代の記憶としてあった。しかし今は。い
や、このマンガでは原爆投下を生き残ったこの少女ミナミには生きていて、現代に新しい
意味を引き出す。ミナミが休んでいるのを心配して、好きな同僚が訪ねてくる。ミナミは、
家にはあげず(昨夜の雨でぬれたきものを干した母が、裸で寝ている)、外で話すことに
する。でも自分で煮た野菜をもっで出て、いっしょに食べる。
「いいヨメさんになるな」それをきくとミナミは急におこりだしでい「うるさい!往ね!
ヨメになぞなるか」ミナミの心中の独白。「しあわせだと思うたび、美しいと思うたび、
愛しかった都市のすべでを人のすべてを思い出し、すべて失った日に引きずり戻される。
おまえの住む世界は、ここではないと、誰かの声がする」
 1931年いらいの長い戦争のはじめ、狂人をよそおって病院ですこし、退院除隊して
からは徴用工となっで南の島で土方として暮らした福田定良の遺稿集『堅気の哲学』藍書
房2005年)。彼は、哲学の教授にはなったが、西洋哲学が似合わず、しばらくでやめてし
まった。彼の哲学は、「私」が「私」でいられるための小さな哲学、チイ哲学だった。
「誰も知らない」という映画を見た。すばらしかったが、もう紙数はつきた。

                             しんぶん赤旗 05.2.15
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