第1回 四日市環境再生まちづくりシンポジウム


2004年7月31日(土)
午後 1:30〜4:20
四日市市総合会館8階/視聴覚室
司会・進行 南山大学教授   遠藤 宏一 
      東京経済大学教授 礒野 弥生

13:30 〜 開会挨拶    淡路 剛久(立教大学/日本環境会議理事長)
13:40 〜 地元からの挨拶 渡部  隆(四日市市職員労働組合委員長)
13:50 〜 ビデオ上映  「証言:四日市公害の記録」(制作:四日市市)
14:20 〜 基調講演    宮本 憲一(大阪市立大学名誉教授/滋賀大学前学長)
               「四日市の環境再生と『維持可能な都市格のあるまち』を求めて」
15:10 〜 休 憩
15:25 〜 特別提案    寺西 俊一(一橋大学大学院教授/日本環境会議事務局長)
               「『四日市環境再生まちづくりプラン検討委員会』の発足について」
15:45 〜 質疑・応答など
16:10 〜 全体まとめ   遠藤 宏一(南山大学教授)

主 催:四日市環境再生まちづくり検討委員会準備会
    日本環境会議・環境再生政策研究所・中部の環境を考える会
    四日市市職員労働組合・四日市大学職員有志・四日市再生「公害市民塾」
                   後 援:ニッセイ財団・中日新聞

基調講演    宮本 憲一(大阪市立大学名誉教授/滋賀大学前学長)
             「四日市の環境再生と『維持可能な都市格のあるまち』を求めて」

1.四日市公害裁判が問うたもの
 四日市公害は戦後の公害問題の原点である。水俣病の原因者チッソは戦前からあった古い電気化学の
公害であり、これが同種の最後の事件であり、イタイイタイ病は戦前の足尾鉱毒事件のながれをくむも
ので戦後の産業の中心でおこったものでなかった。そして両者とも鉱工業資本対農漁民という産業間の
対立をふくむ戦前型の公害の性格をのこすものであった。これにたいして四日市公害は、世界最新の技
術をもった目本最初で東洋一の規模をもっ石油コンビナートの公害であった。このコンビナートはその
後の高度成長の主役であり、政府と財界はこの開発をモデルとして、全国にこのような産業集積を普及
させようとしていた。
 それだけにこの公害が全国に与えた衝撃は深刻であった。漁業の被害というこれまでの公害と同じ現
象もおこったが、ここでは産業間の被害よりも住民の健康被害=人権問題となったのであって、最初の市
民社会の公害問題が発生したといってよい。政府は水俣病などとは異なり、いち早く政策的な対応はす
るが、経済政策が優先する結果、最初のばい煙規制法もザル法で、企業の高煙突対策の失敗もあって、
被害は広がるぱかりであった。行政から見放された住民が最後の手段として裁判をおこしたのであった。
その性格上、この公害を契機に後の三島・沼津の運動をはじめ全国に公害反対の市民運動がおこるので
あって、そのカによって孤立していた水俣病やイタイイタイ病の患者が立ち上がれたのである。
 この公害裁判はまさに戦後の成長政策・地城開発を問うものであった。それだけに他の公害裁判以上
に政治的に困難なものであった。この裁判では大気汚染の因果関係、共同不法行為の責任、拠点開発の
失敗が間われた。裁判そのも一のの内容についてはここでは省略する。

2.裁判以後の影響
 判決後、直接の成果として大気汚染物質の環境基準がきびしくなり、公共事業の環境評価制度が導入
され、被害者の救済=健康被害補償蹴度の成立・S0x対'策など大気汚染さらに海洋汚染についての対
策がすすんだ。日本列島改造論がストップして、環境保全がはいった第3次全国開発計画へ移行した。
 間接的な影響は世界的に広がった。1975年、フィンランドの石油コンビナート・ネステを調査し
たが、四日市の経験に学びコンビナートをヘルシンキから60キロ離し、長期分散型で立地をすすめ、
松林に隠れるような低煙突にし、汚水は下水処理場から一旦魚の養殖池に入れて後に海へ流していた。
また、少しさかのぼるが、1973〜4年には、「No more四日市!」のスローガンで静岡県三島・沼
津・清水2市1町の石油コンビナート反対運動がおこった。これは最初の環境アセスメント論争となり、
論争に敗北した通産省・静岡県の政策を住民の驚くべき力でストップさせた。四日市公害問題は普遍性
があり、これは戦前の農漁民の反対運動と異なり、はじめて市民による公害反対の世論と運動を進める
契機となり、以後の環境政策に大きな影響をもつこととなった。
 四日市公害問題と裁判の結果は世界的にも大きな影響をあたえたが、地元の社会にはそれほど大きな
変化をあたえなかった。むしろこの問題に終止符をうち、公害を過去のものとし、その克服の経験をア
ジアにつたえるというのが行政の姿勢のようにみえる。これは、裁判の成果が企業の公害防止に限定さ
れ、地域開発の失敗を基本的に是正するという地域政策の転換をうまなかったためである。

3.維持可能な都市格のあるまちを!
 今、四日市は都心の衰退、臨海部の産業の停滞=未利用地域の拡大、アメニテイの欠如、被害者の孤
立などの問題に直面しつつある。環境問題の被害はピラミッドのように公害問題が生まれるのは、その
基底に自然・歴史的景観・社会的生活手段の荒廃などのアメニテイの欠如がある。公害を二度と起こさ
ないためには、その基底の地域社会のアメニテイを回復して、住み心地のよい都市をつくらねばならな
い。公害対策は環境政策へ、さらに都市政策へと発展していかねばならない。
 どのようなまちをつくらねばならないか。それはこれから住民を主体とした「まちづくりプラン検討
委員会」で議論していくことになるが、すでに都市再生へ進んでいる例を紹介しよう。それは、EUの
維持可能な都市のプログラムである。まず第1に自然の保全と再生を行い、自然エネルギーを使用し、
リサイクリングなど完全循環社会をめざす。第2は知識産業や環境産業などを発展させて雇用を維持す
る。第3は自動車交通を抑制して大衆公共交通機関を充実し、さらに職住近接社会をめざして交通その
ものを節約する。第4は都市の無制限な拡張を抑制し、農村との共生をはかる。人には人格があるよう
に都市にも都市格がある。この言葉は、大正末期に東京市の顧問であった岡 実が述べたものである。
彼は日本の都市は「みやこ」があっても市民の都市がないと述べ、都市格は市民の自治にあると述べた。
今後の再生も、臨海部の産業や自然の再生だけでなく、コミニテイの再生こそが課題であろう。この事
業は神戸の真野地区のようにコミニテイの復権がはじまりである。今回のシンポジウムを機会に、市民
がコミニテイをつくり、自ら再生事業を始めることを希望したい。

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