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       日本経団連 経労委報告 「日本的経営」の再評価    
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 日本経団連「経労委報告」の序文で、奥田碩会長は「長朗低迷を東り切ることが
できたのは、われわれ民間企業が、一方では硬直的な年功賃金などに大胆にメスを
入れながらも、いわゆる日本的経営の根幹である『人間尊重』と『長期的視野に立
った経営』の理念を堅持し、雇用維持に配慮しながら、グローバル化に適切に対応
した成果ではないか。その理念の普遍性に改めて自信を深めるべき」と述べでいる。
しかしこの間、大企業がしたことは、「人間尊重」とは正反対の、リストラによる
人減らし、賃下げ・成果主義化、サービス残業(だだ働きによる長時間過密労働、
過労死・メンタルヘルス障害の増大などであった。
 大企業の経常利益とくに純利益の急増は、こうした「吸血鬼の顔をした市場経済」
の追求でもたらされた。こう振り返ると、「報告」が再評価するという「日本的経
営の理念」とはなにか、健全な精神の持ち主には理解しがたい。以下、その内実・
ねらいを読み解く。
 「報告」では、「日本的経営」の再評価が、企業強化のための「人材戦略」の一
環(第一順位)と位置づけられている。一体、それのなにを「再評価」しようとい
うのか。
 人間尊重というけれど
 日経連時代の重要報告「新時代の『日本的経営』」(一九九五年)は、「日本的
経営の特質は、終身雇再慣行や年功賃金制度といった制度・慣行ではなくて、そう
した運営の根本にある『人間中心(尊重)の経営』『長期的視野に立った経営』と
いう理念が日本的経営の基本である」と述べでいる。そうであれば、終身雇用、年
功賃金が流動的雇用・成果主義賃金に置き換えられても、人間尊重という「理念」
が変わらぬかぎり、「日本的経営」は存続する。この入れ替え後の、あるいは「入
れ換え」志向の「日本的経営」をとくに「新日本的経営」という。
 その「理念」(人間尊重)とは、要するに「労働者に満足感を錯覚させる搾取強
化」という虫のよいもので、この「理念」さえあれば「日本的経営」であるという
強引な理屈になっている。「報告」は、こういう意味での「日本的経営」の再評価
・再構築を強調し、これを図解している。
 それによれば、「再評価」とは、九五年報告の「雇用の柔軟型」など三典型への
雇用形態差別化(雇用ポートフォリオ)の再強調であり、「再構築」とは、労働者
派遣事業、業務請負、アウトソーシング(外注化)インデイペンデント・コントラ
クター(独立業務請負人)などの不安定な就業形態も加えて、「九五年報告」を補
強したものだ。搾取欲が無限である以上、「再構築」もこれにとどまるはずがない。
 「再構築」は矛盾の表明
 前述のような「新日本的経営」も決して順風満帆ではない。すでに亀裂・矛盾が
目立つ。「報告」で「現場力」の必要が強調されているのも、矛盾の裏返しの表現
といえる。「新日本的経営」により労働者の企業への帰属意識や自発性が希薄にな
った、チームワークに支障が出でいるなどの事態が多くの職場共通のものになって
いる。
 こういう事態を「日本的経営の再構築」で修復できるはずがない。「新」と「旧」
では決定的に違う。旧来の「日本的経営」は「パイの理論」を内蔵し、「会社がも
うかれば賃金もふえるぞ」と労勧者に思い込ませ(運命共同体意識)これが搾取強
化のバネになっていた。流動的雇用、成果主義を柱とする「新日本的経営」には、
それが欠落している。企業収益の大幅増加の対極で、平均賃金は七年連続でダウン
しているという現実(○五年九月、国税序調ベ)のもとで、「愛社精神」など昔話
と化した。なりふりかまわぬ大もうけのツケというほかない。

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