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       教育の目的 教育基本法を考える @

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    憲法のみに依拠し積極性と禁欲性を統一

 大学の講義で、教育の目的を規定した教育基本法第一条の
感想書いてもらったことがあります。第一条は、次のような
条文です。「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及
ひ社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をた
っとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身とも
に健康な国民の育成を期して行われなければならない」
 多かったのは、「日本の教育がこんな立派な目的で行われ
ているとは知らなかった。でも、現実の学校はこれとは違い
すぎる」という感想です。批判的意見としでは、「具体的で
はないため、単なるきれい事ど感じでしまう」といった趣旨
が目立ちましたが、逆に「内容自体に文句はないが、子ども
の教育方針まで法律で決められるのはおかしい」と書いた学
生もいます。これらは、教育基本法を作る過程での争点とも
重なっています。当時、一方には教育勅語を戦後も残す意図
をもちつつ、「祖国愛」、「宗教心」、「犠牲・奉仕の精神、
「日本人の育成」などの具体的項目を入れなければ日本の教
育指針として不十分だという、今の教育基本法「改正」論に
つながる主張がありました。
 他方には、戦前の反省から、詔勅や勅語とは違っても、教
育理念という思想・良心の自由にかかわることを法定化すべ
きではないとの意見がありました。結局、教育基本法では、
これら両論を視野に入れつつ、しかし、どちらとも違う判断
から教育の理念と目的を規定することになります。教育基本
法構想の中心にいた田中一郎文部省調査局参事・東大教授)
は、教育の理念は、「教育自らの思索」と国民の総意に基づ
くべきだと考えていました。でも当時の情勢でそれを可能に
するには、「過去の誤った教育理念と方針」を掃し「新しい
正しい理念と方針」に代えることで、教育者を「虚脱状態」
から立ち直らせ、「教育活動をよみがえらせ生気をとりもど
す」必要があったと述べでいます(『教育基本法の解説』) 
 しかし、教育の理念と目的を法律に書き込む以上内心の自
由の侵害をどう避けるかがやはり課題になります。これに対
しで現行法は、憲法にのみ依拠する禁欲的方針で対応しまし
た。古野博明氏(北海道教育大学)の研究によれば、現行法
の制定過程では、様々な理念や課題を網羅的に取り入れるの
ではなく、日本国憲法との関連で法律的に意味のある根本問
題に限定するという田中一郎の方針が推持されたのです
(『教育基本法改正問題を考えるC制定過程をめぐる論点と
課題』つなん出版)。
 このように、民主主義における教育のあり方を示す基本法
として自主的な教育活動を励ますという積極性と。それが新
たな内心の統制にならぬよう自己限定するという禁欲性とを
高度度に統一して作られたのが現行の教育基本法なのです。
「改正」論は、この原則を無視してあれこれの項目を法定化
しようとしていますが、まず、教育基本法を語る前提として
この点を押さえる必要があります。

 田中昌弥(たなかよしや)北海道教育大学助教授1963
年生まれ。教育哲学、教育学的認識論、臨床教育学。『今日
の学力問題を考える』、共著「臨床教育学序説」ほか

                                            赤旗 11/2

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