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       教育の目的 教育基本法を考える A

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   「改正」論は民主主義から逸脱

 与党が準備しでいる教育基本法「改正」案では、「道徳心」、
「公共の精神」、「伝統文化の尊重」、「郷土と国を愛する」と
いっだ内心の自由にかかわる問題まで法律で決めようとしていま
す。確かにこれらは教育が検討すべき重要な課題です。しかし、
法定化となると話は違ってきます。特に注意を要するのは、「改
正」案が、「教育の目的」とは別に「教育の目標」という枠を新
設し、そこにこれらを入れる予定でいる点です。現行法第一条は、
「教育の目的」です。「目的」に向けた過程や方法は、多様にあ
りえますから、現行法の目的規定は、教育活動を直接に拘束する
わけではありません。それに対しで「目標」とは達成すべき実体
であり、到達度が点検の対象にもなりえます。「教育目標」が法
定化されると教育活動は直接それに縛られ、学校は、子どもの内
心の自由への侵害も省みず、「目標」に向けた「成果」を要求さ
れることになりかねません。
 加えて、十月二十日、中山文科相は、中教審に教員免許更新制
を諮問しました。二年前に申教審が導入を見送ったものを再び蒸
し返しご2006年には、制度化するつもりだといいますから、かな
りの力の入れようです。これまで醸成されてきだ教師不信から、
これを素朴に支持する国民の声もあります。しかし、もし教員免
許更新制と教育基本法「改正」とが共に現実化したら、教師たち
は、子どもの内心の自由を侵害する教育を行うか、免許を失うか
を選ばなければならないという苦しい立場に追い込まれる可能性
もあります。日の丸・君が代問題に対しで処分で臨むという今の
姿勢を見れば、これは決しで極端な話ではありません。
 前回も見たように、現行法の勘どころは、自主的な教育活動を
励ます積極性と、それ自体が新たな統制につながらぬよう自己限
定する禁欲性とを統一した点です。しかし、与党が準備しでいる
「改正」案は、それとは正反対に、学校と教師個々人に対する強
力な統制と自主的な教育活動の破壊につながるものです。こうし
た事態は、憲法の精神にも反しますし、「教育は、不当な支配に
服することなく、国民全体に対し直接に責任を負っで行われるべ
きものである」とした現行法第10条にも低触します。ところが、
「改正」論者は、逆に「憲法の精神に則り」という現行法前文に
疑義を呈し、第10条も、「教育行政は、不当な支配に服するこ
となく」という文言に変更しろと言っています。「行政」という
二文字を入れで趣旨を百八十度転換させ、教育行政こそが正義の
基準であるとするわけです。 
 もちろん、教育行政の仕事を単純に否定する必要はありません。
しかし、この第10条は、教育を通しで国民を軍国主義に動員し
だ戦前への反省と同時に、国家に対する自由権から始まった近代
民主主義の一般原則を背景としだ条文です。こうした民主主義の
常識すら平気で否定するところに「改正」論の根本的な危険性が
あるのです。                 赤旗 11/3 

       (田中昌弥・北海道教育大学助教授)(つづく)







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