「自分の生き方への問いとして」多喜二祭を前に 野島 龍三 小林多喜二の小説に「一九二八年三月十五日」という作品がある。労働組合の活動家や共産党員 が大勢検挙され、激しい拷問を受けながらも、闘いの炎を燃やし続ける話だ。学生時代には、自分 はこんなことをされても考えを曲げずに頑張れるだろうか、と自問しながら読んだ。それは、日本 国憲法下の社会に拷問などあり得ない、という前提のもとでの無邪気な思考実験だつた。 しかし気がつけば、その問いが今、社会のあちこちで現実のものとして人々に突き付けられてい る。起立して「君が代」を歌わなければ免職。芸能人としてこれ以上発言を続ければコマーシャル の仕事を干す。ビラを配布するのだったら逮捕拘留、家宅捜索を覚悟すること。仕事を続けたかっ たらお上の意を汲んでテレビ番粗を作るべし。 一体これらの脅しが、肉体的拷問よりもましだなどと言えるだろうか。私は、小林多喜二小説か ら、あの時代に人々を抑圧することに気付かされる。同時に、自分がこの社会の中でどのように生 きなくてはならないのかを、たたかう人間の生き様を通して鋭く問い掛けられる。 だから私は、自分の中に怯儒(きょうだ)やあきらめや怠惰の気分が兆した時、小林多喜二の作 品に戻る。今年も多喜二祭の二月がやってきた。小林多喜二が住み、遺体が運び込まれた自宅があ る杉並と彼が活動した中野、渋谷のゆかりの地を中心に、十七回目を迎えるこの集会も多くの人に とって、「今、自分はどう生きるのか」という、自身への問い返しの場となっているのではないか と思う。 今、全国で多喜二をとらえ直し、現代の光を当てる運動が大きく盛り上がっている。私たちも、 多喜二をより豊かに、鮮やかに現代に生かすことを期して、一年前から準備を積み重ねてきた。メ インの記念講演は、近刊『小林多喜二とその時代』が好評の、一橋大学名誉教授の浜林正夫氏にお 願いした。書名と同じ「小林多喜二とその時代」という演題で、多喜二があの時代をどうとらえ、 どう描き、どうたたかったのかを、新たな視点から縦横に語っていただく。 小講演は、文芸評論家の乙部宗徳氏に、「多喜二・人と作品」というテーマで、多喜二とその生 きた時代、代表的な作品についてお話ししで頂く。村上弦一郎氏によるピアノ演奏にも期待が集ま っている。朗読や青年のトークも今準備が進んでいるところである。 しんぶん赤旗 05.2.15