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                「労働教育」学習会
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2010.02.20
三重県教育文化会館

            市民教育としての「労働教育」のあり方
           ― 普通職業教育という発想について ―

                                                      中央大学 教授 池田賢市
1.はじめに

 社会全体が「競争」に慣れてしまったのではないか・・・
商品の「値段」に着目してみると・・・「社会のあり方」が見えてくる。
                   ・・・・「学習」のあり方が変わる
職業の位置づけ
 これまでカリキュラムを論じる際に、社会生活において職業がどのような位置
づけを占めるのかについて検討が十分になされてきたかどうか…
学校教育と職業・労働との結びつきが‥・
  @就職準備のための「訓練」教育のようなイメージ
   学校での知識が具体的な仕事の役に立つかどうかといった観点から評価
   資格取得を教育の成果として設定
  A労働(具体的職業)と学校(普遍的学習)とは相反するといった議論
   職業教育より優位に立つ普通教育という序列 
「勉強せんとええ会社に入れへん!」
 しかし、人はみな何らかの職業を通して社会参画し、民主的社会をつくり上げ
ていくのであるから、すべての者が共通に学ぶべきものとしての普通教育におい
て職業を位置づけることは極めて重要。
 その際、「職業」を人間にとってどのようなものとして定義するかが鍵となる。
      ↓
 「職業は、人が自己の生計を維持するためにする継続的活動であるとともに、
分業社会においては、これを通じて社会の存続と発展に寄与する社会的機能分
担の活動たる性質を有し、各人が自己のもつ個性を全うすべき場として、個人
の人格的価値とも不可分の関連を有するものである。」
  (1975年4月30日最高裁大法廷判決 薬事法をめぐる行政処分取消請求)
   ↓
 人格権としての職業=人格、個性の展開する具体的な場として職業をとらえる。
「勤労(権)は、生存(権)のための手段としての意味をもつにとどまらず、それ自体
として、自己実現や社会貢献などの独自の価値をもつものとして位置づけられる
べきであろう。」
(樋口陽一編『ホーンブック憲法』改訂版、北樹出版2000年212頁)

2.労働法規の学習 → 具体的な教材化が課題

 厚生労働省「今後の労働関係法制度をめぐる教育の在り方に関する研究会」報告書
  労働者自身が自らの権利を守っていく必要性         (2009年2月)
   →必要な者に必要な知識が行き渡っていない
     →単に知っているだけでは不十分
       →実際に活用して適切な行動をとる
 かなり評価できる内容ではあるが、ここにも大きな欠点がある。
 → @労使対等であるという視点が強すぎ、現実を反映していないところがある。
   A現行法令を前提としており、労働者保護の観点からの法改正は想定外。
   B紛争解決を個別的にとらえている。
     ↓
 自分に降りかかる火の粉を払えばよいというのではない。
仲間との連帯(他者へのまなざし)が不可欠( → 労働組合の必要性)
     ↓
この観点からこれまでの学校教育を見直す作業へ

3.学力のとらえ方を変える(PISAをヒントにしつつ)

EUの労働市場の特徴 = 国境を越えた多文化状況 → 職場で使える能力
                              ↓
                     多様な人間関係の中でいかに協力
共同的な学習の重要性 ← して能力を発揮していくか
            ↓
人のものをまねたり、教えてもらったりして分かるというのも本人の能力!!
他者からの支援的情報や働きかけを受けて理解していくことの重要性
→ 子どもの学力ではなく、子ども「たち」の学力というとらえ方の必要性

日本の政策は、反対に → 個人を分断し、学力を個人化する方向
              個別学習こそが効率のよい学び方 → 学校は不要??
(習熟度別)            (塾通い)

※OECD事務総長の日本への懸念 「生徒が単に科学的知識を記憶し、その再現だけを
学習しているとすれば、多くの国の労働市場からすでに消えつつある種類の仕事に適
した人材育成を主に行っているというリスクを冒している。」

4.普通職業教育の内容=社会の「不正」を見抜く力

社会関係の中で自らのあり方・生き方をとらえることができる力が大切。その際、中
核になるのが「職業」。働くことで人は生活の糧を得ていくわけだが、しかしそれはけ
っして自己責任に解消されるものではない。働くことが人格とかかわる(先述の最高裁
判決)かぎり、就業の機会を国の施策として求めていくこと(失業に対する手当等も含
めて)が、社会権として認識されていく必要がある。
また、労働条件に関しては、それが人としての尊厳を大切にしたものでなければなら
ず、契約の自由を基本としながらも、そこに国が介入し労働者にとって一定の水準を
維持することが求められる。と同時に、労働条件は、労働者自身によってその改善を
要求していかなければならないものでもある。そのためには、団結権・団体交渉権・
争議権が必要(憲法28条)となる。以上から、少なくとも働く者として知っていなけれ
ばならない法律が明らかとなる。

 社会権の側面 →職業安定法、雇用対策法、雇用保険法、雇用機会均等法・・・
 労働条件の側面→労働基準法、最低賃金法、育児・介護休業法、労働組合法・・

もちろん、これまでもこれらの内容については社会科等で扱われてきているが、普通
職業教育の特徴は、具体的な労働場面を想定しつつ、自らにかかわる問題としてさま
ざまな現実の状況を提示し、その問題解決の筋道までも視野に入れた教育であるとい
う点にある。つまり、単に知識として知っているという段階を越えて、法的な根拠を
問題解決に生かしていく方法を学ぶわけである。たとえば、高校生においてはアルバ
イトという形で働いている者も多い。つまり、すでに労働現場に出て行っているわけ
であり、たとえば時給や休憩時間、残業をめぐる具体的問題などは、彼らにとっては
きわめて身近な関心事なのである。これらのことは給与明細書に反映されているはず
であり、その明細書の見方の学習は、普通職業教育のきわめて具体的な事例となるだ
ろう。
 しかし、いくら権利について学習を重ねても、何が権利侵害であるかについて敏感
でなければ意味をなさないし、自らの身は守れない。したがって、普通職業教育は、
差別や権利侵害を見抜く力を培う教育ということにもなる。つまり、人権教育として
位置づけられ、人間らしい生き方の追求とそれを踏みにじるものに対する批判・抵抗
が、普通職業教の哲学として不可欠となる。

5.まとめにかえて −社会をつくる力の育成−

人間を社会的存在ととらえるならば、当然に、その生活の基盤には労働があり、また
その労働を通して人間が形成される、というとらえ方になる。しかも、有用なる職業
能力の習得に終始するのではなく、社会的矛盾や問題が具体化する場として職業をと
らえた上でそこでの労働に着目するならば、普通職業教育は、かなり幅の広い、人間
の生活全般を視野に入れた学習の展開を予想させるものとなる。したがって、それは
学校教育での教科全体を関連づける性質をもつことになる。「学校を子どもたちが日本
社会の、平和と民主主義の理念に立っての基本問題を考えぬく場としてとりもどすこ
と」(梅根悟『日本の教育改革』大月書店、1975年、134頁)が必要とされているのであり、
それを具体化するものとして「職業」生活についての考察がある。
 人格の具体的に展開する場が「職業」であるならば、人格の完成を目指す教育活動
において「職業」が重要なテーマとなるのは必然である。しかもその扱いは、職業
(就職)準備や技能の習得というスキルに限定されるものではなく、「個性を全うす
べき場」として、つまり、生き方の問題として設定されるがゆえに、普通教育として
の性質をもつ。
 また、有機的連帯を原理とする分業社会にあって、職業は「社会的機能分担の活動」
として社会の存続にとって重要な性質をもっている。つまり、普通教育としての職業
教育は、人格と社会とが結合される実践であり、具体的には職業選択行動において、
自己と社会、そのなかでの自己の位置や役割等をみつめ、考察し、諸問題・課題をも
含めた社会分析をともなう教育となる。自己にとって、またこの社会にとって職業と
は何であるか、これは思考のレベルとともに行動のレベルにおいても基本的人権とし
て保障されるべき教育的問いである。就職準備としてではなく、教育の本質的要求に
基づく「普通職業教育」は、このような理念に支えられたものである。
  ↑
 学校教育法「高校教育の目的」=「社会において果たさなければならない使命の自
覚に基づき、個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な知
識、技術及び技能に習熟させること」
                 ||
単に「個人の」知識に着目するのではなく、知識は社会的な位置づけのなかでの学び
を通して得られるという学習観。いかに個性を発揮して、社会のなかで自分は何をし
ていくべきなのかといった観点から進路を決定していく。その前提として、一般的教
養や知識・技術・技能の専門性が求められることになる。こうしてはじめて、人は市
民として、民主的社会の形成者として生活していくことになる。「普通職業教育」の
発想は、すでにここに描かれているともいえる。

※ 普通職業教育は、いわゆる座学によって人間にとっての労働の意義を学ぶという
ことを中心にすべきだということではない。知識や技能は、社会的な諸関係の中で意
味をもってくるのであるから、職業を具体的に学ぶ必要がある。特定の就職準備とは
異なる形で、具体的な技能の習得も欠かすことはできない。つまり、ある職業に必要
な一連の能力・技術を系統的に学ぶことで、はじめて職業とは何かが具体的、総合的
に理解でき、また、生徒が自分の職業を発見していくひとつのきっかけにもなる。と
同時に、それを越えて、労働関係についての学習へと広がっていく。ここから、労使
関係についての知識や技能の学習が立ち上がってくる。いかに社会的課題とセットに
なった学習であるかどうかが鍵となる。

6.キャリア教育とのちがい

 日本の文部科学省関連の審議会で最初に「キャリア教育」という用語が使用された
のは、1999年12月、第17期中央教育審議会答申「初等中等教育と高等教育との接続の
改善について」においてである。
→「学校教育と職業生活との接続」という章のなかで、フリーター等の若者雇用問題
への対策としてキャリア教育を提唱。
     ↓
キャリア教育=「望ましい職業観・勤労観及び職業に関する知識や技能を身に付けさ
せるとともに、自己の個性を理解し、主体的に進路を選択する能力・態度を育てる教育」
→意欲や態度の問題が中核

「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書」(2004年1月)
キャリアを「個人」と「働くこと」との関係の上に成り立つ概念として、
「個々人が生涯にわたって遂行する様々な立場や役割の連鎖及びその過程における自己
と働くこととの関係付けや価値付けの累積」と定義。
       ↓
キャリア教育=「児童生徒一人一人のキャリア発達を支援し、それぞれにふ
さわしいキャリアを形成していくために必要な意欲・態度や能力を育てる教育」「児童
生徒一人一人の勤労観、職業観を育てる教育」

「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について(審議経過報告)」
                            (中教審、2009年7月)
 キャリア教育=「社会的・職業的自立に向け、必要な知識、技能、態度を育む教育」
      ↓
「自己の将来と、現在の学びとを関係付けていくことは、学生・生徒等に学びの意義や
楽しさを実感させ、その学習意欲を喚起する上でも有効であり、このようなキャリア教
育の意義等について、教職員の意識を高めることが必要である。」

⇒ 他者とのかかわりの中で育つ、人と人との関係性、社会全体の中での職業の位置づ
けといった観点が欠けている。いかに労働市場に適合した付加価値の高い人間(=人材)
になるかが問われている。学びを職業に直接的に役立つかどうかといった観点から意義
づけようとしている。
    ↓
「職業的自立」に必要な知識・技能・態度が重要である点は、文言上そのとおりだとし
ても、そのなかで何をするかが問題である。つまり、どんな知識・技能・態度が必要と
考えるか、である。
   ↓
 普通職業教育は、働く市民としての自覚と自らの社会的位置の認識を基盤とした権利
教育として展開される点で、労働市場における個人の「成功」という「個人主義的」な
枠に収まるものではない。普通職業教育は、人間にとっての働くことの意味・意義を問い、
社会的に「つながる」ことの大切さ、個人ではなしえない連帯の力の確認、そして、国
際的な人権・平和問題の認識・解決へと広がる。まさに、「社会をつくりかえる力」が
ここにおいて培われるのである。
7.まず家庭・地域・職業の教材化

 一言加えるならば、普通職業教育において対象となる「職業」とは、必ずしも生徒た
ち自身の将来における仕事という意味に限定されない。普通職業教育では、「生活」を
くぐらせた具体的姿としての人間理解とそこでのさまざまな社会的課題の認識が目指さ
れているのであり、したがって、むしろ現在の生徒たちの家庭や地域の職業がまずは教
材化されていくことになるだろう。日本の経済構造・社会構造のなかでそれがいかなる
位置を占めているのか、いまの社会はいったいどのような原理で動いているのか、それ
を客観的、批判的に検討することから普通職業教育はスタートする。
 そのためには、「想像力」が必要となる。日常的に子どもたちは「働いている人」に
接している。しかし、消費者の立場しか意識できなければ(=サービスを受ける側とし
てしか自己をとらえることができない状態)、いろいろな「問題」は見えてこない。バ
スや電車の運転手さん、お店で働く人たちを見て想像してみることが大切・・・朝何時
から働いているんだろう、休憩時間はどれくらいだろう、といったように「働き方」を
想像してみる。これは、労働条件の話になっていく。そのように深めてみると、見えな
かったものが見えてくるのではないか。職場体験もこのような想像力を鍛える意味でと
ても有効。知らないと何にも見えないが、一度わかり始めるといろんなものが見えてく
る。そして見えなかったものを見えるように導いていくことが教員の仕事。
 子どもたちにいかに「視点」を提供できるかが、「職業」「労働」をめぐる教育には
鍵となる。


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