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    矢作俊彦「もう後戻りできぬ!首相はもっと壊せ」    【朝日1/9】
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 僕は信号を積極的に守らないんですよ。横断歩道で信号は見ていない。車を視認
しなければ赤信号でも渡ってしまう。すると、周囲の人が一斉に歩き出すんです。
そういう人たちが、イラクであの3人が人質になると「自己責任だ」「自己責任だ
」って騒いだでしよう。すごい違和感を覚えました。費用を払わせろと言った政治
家などは論外、この国は自立した国民国家ではないと言ってるようなものです。国
民国家という仕組みのキモは、「税金を払いなさい。その代わり国が生命財産を守
ってやる」ってところにある。人質を、たとえ格好だけでも助けなかったら、そう
した国の成り立ちがほごになつてしまう。そんなことも分からない政治家が、改憲
論議をしているんだからお笑いだね。
 昨秋、アメリカの中西部を旅して感じたんですが、ケリー陣営は結局「ノー・ブ
ツシュ」であつて「イエス・ケリー」で戦ってるわけじやないんですね。これでは
「イエス・ブッシユ」の共和党に勝てるはずがない。この国も同じでしよう。国の
かじ取りが常に「ノー何々」「ノー誰それ」なんです。「こうしよう」というビジ
ョンは、置き去りにされたままだ。これで国連安保理の常任理事国になるんだと言
うわけです。どんなビジョンを掲げ、何をするためその地位就くかは語られること
がない。外務省も政治家も結局、常任理事国になるとどれぼど得か、いい気分かと
いうことしか言おうとしない。
 【遅れた政治家】
 小泉首相の評価はどうでしよう。去年、「西部警察」がテレビで再放送されてて
思ったんだが、やはり20年の時の流れはすごい。夜の室内でサングラスしたり、食
事中でもくわえタバコだつたりね。もし、まだそれが格好よく見えるなら、相当時
代遅れだ。そう見えるか、見えないか。見え方が変わるということが時代性なんで
す。
 こうした時代性を先頭で受け付けなけれはならない政治家が、この国では最後尾
に、しかも後ろ向きにいる。小泉首相が当初、熱狂的に迎えられたのは、こうした
文脈でのことだと思う。たとえば、彼の言説というのは永田町の政冶家ではなく、
怪獣映画に出てくる熱血宰相により近いでしよう。明治以来、それまで国会では恐
ろしく時代と乖離した言葉が使われてきた。見当外れな漢語をを引き、謙譲語とも
丁寧語ともつかない珍妙な、主語が存在し得ない言い回しです。
 【見栄えが重要】
 しかし小泉首相だけが違う。構造改革だの何だのより、その言葉にみんな強いシ
ンパシーを感じた。ずるいことをしても、それは自分たちと同じようなずるいこと
であつて、訳の分からない言葉を使ってる連中のずるさではないんじゃないか、と。
今、彼の人気が落ちてきているのと、彼の言葉から主語が消えつつあるのは大いに
関係ある。
 それに小泉首相は見栄えもいいしね。先刻のプッシュ対ケリーを引用すると、ケ
リーの顔は辛気臭い。あの顔がパーティに現れても、何か良いこと、楽しいことが
起こりそうにない。映像の時代に、これは決定的です。
 この10年で、有権者は地域の利害から急速に遠のきつつある。地縁血縁も意味が
薄まって、こうなるとビジュアルイメージはますます政治家の重要な要素になって
くる。
 その点で僕個人の夢は古賀誠代議士のよう風貌の人が次の首相になることです。
人柄や能力とは無関係に、今の日本国民はああいう言説や笑顔に耐えられない。耐
えきれずに、「自民党をぶッつぶす」という小泉首相の公約が完遂されるでしよう。
 【「社会」に風穴】
 むろん、次の時代の言葉で次の政治、つまり内容あることが語られるに越したこ
とはない。しかし、それ以前に破壊が必要だったんですね。小泉首相になって、永
田町、霞ヶ関の伝統が壊れてきた。情報公開が進んだし、内部告発は増えた。自民
党を見ても、今までなら墓場まで持って行ったような人が、法廷であらいざらいし
ゃぺろうとしている。俗に「和の社会」と言われるようなシステムに風穴が開いた。
みんな自分のことしか考えない。おかげで悪意や無能が個人名を持ってあぶりださ
れる。
 ただ最近、案外この国では個人も国家も自立していない方が心地よいのかも知れ
ないと思うことがあるんです。自己責任なんて言葉もそうですが、あれは「非国民」
や「売国奴」のような、今使うに使えない禁句の代用として国と国民、双方から選
ぴとられたんですね。民主主義も、象徴天皇制なんて言葉も、何かの「お見立て」
なんです。この国の近代では、すべての言葉が、何かの代用品だったのではないか。
 「社会的に自立した個人」などという言葉も、本人でなく、怪人二十面相が化け
た何か別物なのかもしれない。しかし化けの皮がはがれた以上、もう後戻りはきか
ない。
 これからの政治に求められるものは。長いスパンで考えれば、日米安保条約をリ
セットする時が来るでしようね。それ抜きの改憲論議なんで成り立たないですから。
憲法は理念でありビジョンでしよう。だから、米軍基地がそこに居すわっている限
り、自主憲法なんてものは存立し得ない。日米安保というのは真っ当な国と国との
条約じゃないんだもの。そこに目をつぶって憲法改正をするのなら、昭和と共にや
っと終わつたはずの戦後民主主義だの、象徴天皇制だのという虚構を、新たな、し
かももっと空疎な虚構に置き換えるだけじゃないでしょうか。
 【必要な「力業」】
 世界帝国は、出現と同時に崩壊が始まるんです。これは歴史の法則だ。アメリカ
の覇権だって決して永遠じゃない。それまでは、アメリカがソ連との政治対立で中
国を切り札にしたように、日本はアメリカに対して、中国をカードにして、切り抜
けるべきです。そういう力業ができる政治家が必要だな。イギリスは歴代、大陸ヨ
ーロッパとの利害調整でアメリカをカードとして使ってた。ああいう老獪なことが
できる政治家がね。これから東アジアの共同体構想が進んでいく。東アジアにイン
ドを足したら人口は地球の半分近くでしょう。それはどの市場だ。今後、日中の関
係は死活的に重要です。
 アメリカの不安は、ずっとそこにあった。大体、中国と日本の間にくさびを打っ
てきたのはアメリカだからね。日本の官僚は今ひどい体たらくですが、それを浄化
する特効薬は罰則などではなく、宿命的な目的を与えることです。中国をカードに
アメリカと駆け引きすることを覚えさせれば一生懸命やる。これはゲームで、日本
は今やオタクとゲームの国なんだら。
 EU(欧州連合)をつくったヨーロッパの英知に、日本が学ぶといっても難しい
でしよう。今の状態は、冷戦が終わったのに新しいモデルを構築しょうと努力もし
なかった自業自得というものだ。冷戦終結以降、ヨーロッパの統一に加速がついた
とき、最もそれに冷笑的だったのはこの国のエスタブリッシュメントです。
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【矢作俊彦】作家。横浜市生まれ。17歳で劇画デビューし、シナリオ執筆や映画監督、
 時評など多彩な活動で知られる。30年ぶりに中国から戻った元大学生を主人公に戦
 後日本を照射した「ららら科学の子」で三島由紀夫賞。近著に「THE WRONG GOODBYE」
 がある。54歳
                                  朝日 11/8

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